益山寺のこと

修禅寺ニュータウンから、直線距離で北へ4kmほど行った山間に、益山寺(地図)というお寺さんがあります。読み方は、「ましやまでら」とも「えきざんじ」ともいわれますが、近くの道路にあった看板には「ましやま」と書いてあったように思います。

標高300mほどのところにある高野山真言宗のお寺で、弘法大師の創建と伝えられます。806年(延暦25年)の創建とされ、空海が創建し、本尊の千手千眼観音菩薩を刻んだとされています。

しかし、調べてみたところ、806年は空海が唐から帰って大宰府に帰着した年であり、ありえない話です。ただ、境内には伊豆でも屈指の巨樹(樹齢約860年の楓と400年の銀杏)があり、修善寺温泉同様、この地に古くからある由緒正しいお寺であることには間違いありません。

行き方としては、狩野川沿いを走る国道136号沿いにある、「狩野川記念公園」の前の交差点を西方向に入ります。奥手にセブンイレブンがあり、これを右折し、山田川の橋を渡ると、つきあたりに、「上島橋方面」の看板、もしくは「農機具資料館」の看板がありますす。ここを左折してコンクリートのU字溝などを製作している工場、採石場などを尻目に2kmほど先に進んでいくと、益山寺へ向かう看板標識があります。

この看板に従って右手の脇道に入ります。数百メートル行った先の行き止まりには、自家用車なら10台程の駐車スペースがあります。ここが、参道入り口であり、ここからはクルマを止めて歩きます。益山寺までは細い舗装路もあり、寺内敷地にも狭い駐車スペースがあります。が、この登山道はかなり急傾斜でしかも狭隘なため、万一すれ違うクルマがいると難渋します。なのでお勧めできません。

この舗装道を歩いて登っていくと、沿道には人家が二軒ほどあり、参道沿いには古い石仏が点々とあります。これをながめながら行く工程はなかなかいい気分です。次第に左右に藪が多くなり、孟宗竹の林などを抜けると、最後に大きな庫裡の建物が見えてきます。

庫裡の前を通り少し行った先に、寺の駐車場があります。参拝者以外駐車禁止の文字が見えます。ここにある石段を上がれば、そこが益山寺の境内です。

まず目に飛び込んでくるのが、大きな楓の古木です。根回り5.46㍍、目通り4.05㍍、樹高27㍍、樹齢900年ほどで県下最大の楓です。保存は良好で、瘤が多くあり盛り上がる力強さは、見る者を圧倒します。

その横にはこちらも見上げるような大銀杏(いちょう)があり、これも市指定になるほどですから、かなりの高齢者です。秋の紅葉のころは美しく、境内にある石仏群と調和してみごとな風物絵巻となるといいます。さらにこの銀杏の樹の横にはかなり大きなマキの木もあります。

筆者はここを二度ほど訪れました。いずれも新緑のころであり、そのみずみずしさを存分に味わうことができました。おそらく、秋には銀杏の黄色と、モミジの赤のコントラストが美しいに違いなく、今度はぜひ秋口に来てみたいと思います。

境内は、落ち着いた雰囲気です。多数の地蔵様、石仏など安置されています。秩父・坂東・豆駿・両国などなどの33ヶ所に設置してあったのと同じ観音が揃い、133体あるといます。また、ここ伊豆の剣術と伝えられる、「直指流」という流派の開祖の墓もあります。「豆州門人一同」の銘があり、刀型の形をした珍しい墓です。

このお寺のすぐ裏側には神社があり、これは「伊加麻志神社」といいます。 天正2年の創建と伝えられており、これは織田信長が、幕府将軍の足利義昭を京都から追放した年であり、かなり古いものです。さすがに社殿はその当時のものではありません。祭神は三島大神だといいます。

以上が、益山寺の紹介です。ニュータウンからは、クルマで10分ほどの場所であり、その気になれば歩いて行くこともできます。工程6~7kmというところでしょうか。無論、上述のとおり、クルマで行って、山道下の駐車場にこれを止めて歩いていくこともできます。

観光ガイドブックにも載っておらず、隠れた名所です。人気が出すぎて、観光客が増えるといやなので、あまり人には教えたくないのですが、このブログをご覧になった方は別です。ぜひ訪れてみてください。

なお、境内奥にある伊加麻志神社の、さらに裏手には登山道があります。これを辿って伊豆の名峰、葛城山に達することもできますが、その反対側を海の方に登っていくと、発端丈山(ほったんじょうやま)という山の山頂に出ることができます。

所要、30分くらいでしょうか。この山頂からの富士山の眺めは格別です。またの機会にそのルートについてもお伝えしましょう。

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